脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

はじめての転倒【闘病記その22】

こなかです。
2019年の6月19日 にもやもや病から脳梗塞になり、熊本済生会病院に入院。脳が腫れ頭蓋骨で圧迫されたいたため、21日に頭蓋骨を外し、

7月16日にリハビリのため、熊本桜十字病院に転院し、脳の腫れが引くまでリハビリし、脳の腫れが引くとまた済生会に戻り、11月1日に外した頭蓋骨を戻し、術後落ちついた11月9日に自宅近くの天草慈恵病院に転院した私。

そして11月24日、その事件は起きました。

時間はそう11時過ぎくらいかな?朝のリハビリがおわり、お昼ご飯までベッドに横なっていったのですが、トイレに行きたくなり、ナースコールを押しました。

 

しばらくしワーカーさんが来て、トイレに行きたいと伝えました。

普段、トイレに行く時とか、ご飯などで、車椅子に移る時は、まず、看護士さんなり、ワーカーさんが、掛け布団をどかしてくれて、それから起きあがりベッドから両足を降してベッドに腰かける。

そして靴を履かせてもらって、アームスリングを着けてもらってから、車椅子をベッドの近くに寄せてもらってから車椅子に移乗するという流れなのですが、その日は対応してくれたワーカーさんが、何故か、掛け布団をどかしてくれなかったので、起き上がり、ベッドから両足を下ろしたときに、着ていた毛布がお尻の下敷になってたんですね。

そして、普通なら、ベッドから足を下ろしたら、ベッドに腰かている状態で、靴を履かせてくれて、アームスリングもつけてくれるのですが、この日のワーカーさんは、靴も履かせたくれず、アームスリングもつけてくれず。

 

そしてなぜが、私のお尻の下に敷いてある毛布を引っ張ったんです。

たぶん、ワーカーさん的には、起きるのに邪魔だから取ってくれようとしたのかもしれませんが、

お尻の下の毛布を引っ張られたので、私ももそのままベッドに下に尻餅をつきまして😭

6月に入院して約半年、済生会、桜十十字、天草慈恵病院と、2回の転院を経て3つの病院に入院しましたが、ここーひに来て初めての転倒です。

毛布を引っ張られた時にヤバイ!とは思ったのですが 、靴を履かせてもらえてなかったので、くつ下では、踏ん張りがきかず、そのまま、滑り落ちました。

患者の命を預かっている医療の現場で、こんな事があっていいのか!?

靴も履かせず、アームスリングも、つけず、おしりの下の毛布を引っ張るなんて!

私が若くて骨も丈夫で、ついでに尻の肉が厚かったからいいけれども、

もし、これがガリガリのご老人ならおしり強打して骨折っててもおかしく無いよ。

そして私が転倒したことで毛布を引っ張ったワーカーさんは大慌て。

すぐに看護師長さんが飛んできて、頭を打ってないかとか、痛い所がないかと心配してくれたたのですがが、私の毛布を引っ張ったワーカーさんは、なんとそこで、私が勝手にベッドから落ちたと言い出した!

私が勢い良く起きたせいで止めようとしても止められなかった。と。

ちょっと訳がわかりませんね。

そもそも、私が勢いよく起きたとすれば、尻餅をつくのではなく、頭から前のめりに転倒するとおもいませんか?

私が転倒した時に病院側が私の自宅に連絡し、母親がすぐに飛んで来たのですがそのワーカーさんは、最初は母にも、このかさんが1人で落ちたと言い、それに母が激怒。

車椅で動けない私が一人で落ちるなんてありえない、それに靴も履かせて無い、アームスリングもつけて無いなんてあり得ないでしょ?って言って、そこで初めて、私の責任です、申し訳ありませんと謝罪がありました。

最初から素直に謝って欲しかった。

ワーカーさんの職務怠慢でバベッドから落とされた挙げ句、勝手に自分でベッドから落ちたといわれ、お尻や麻痺した手を強打したことより、

毛布を引っ張られて落された、そしてそれを、自分で勝手に落ちたと嘘をつかれた事が、何よりショックで悔しかったですね。

アームスリングを付けていなかったので転倒したときに腕を地面に強打はしましたが、頭も打つこともなく無事でした。

桜十字でリハビリして、車椅生活できるまでに回復したのに、病院で転倒させられて骨折でもして、また一からリハビリやり直しなんてことになったらWKさんに申し訳ないので本当に良かった!

ここの病院ではこな転倒騒動の他にも、ご飯の時間になると、看護師さんが病室に来て、自分で起きてごはん食べに行ってね。といわれたり。(車椅子だし、麻痺で、手は動かないので靴も一人で履けないのにどうやって車椅子に移って食堂に行けば良いのか、逆に私が聞きたいです。)

済生会や、桜十字では、ご飯を食べおわると看護師さんがきて、名前と生生年月日を確認してから薬を飲ませてくれたのに、慈恵病院に来たからは、ご飯のお盆に既に薬が乗せてあり、名前や生年月日の確認もなし。

そして、薬も空けてくれない。

麻痺して、左手はまったく使い物にならないので、薬のビニール袋を開ける事はできません。

ある日、薬が開けられないので、飲まずにいると看護士さんから、薬飲み忘れてるよ!!もうふぐ退院なんだからしつんかりして!!と言われ、手が動か無いから袋は開けられませんと言うと、え、歯開けられないの?片痲痺の人はみんな、歯で開けてるよと言われ、

歯でも無理ならハサミかすから。と言われましたが、1日3度ある食事の度に、看護師さんを捕まえてハサミを借りて、使ってまた返すとあうのは、正直大変なので、自分でハサミを準備することに。

 

たまたまツイッターにここの看護師さん薬を開けてくれないからハサミが欲しいと、ツイッターでつぶやいたところ、闘病記その25にも登場した、友達のもこちゃんにがそれを見て見舞いに会いにきてくれたときに、ハサミを買ってきてくれました

 

なんて、いい子なんでしょう!

 

それがこのハサミです。

 

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このハサミはここの病院を退院するまではもちろん、

退院した今までも家や、

週に3度、お風呂介助を受ける為に通っている通所施設でも使わせてもらってます。

かなり愛用してます。

 

 

とにかく、これまでは、熊本県済生会に桜十字と大きな病院にいた私は町の大きな病院と、田舎の小さな病院との看護の質の差を痛感したのでした。

転倒はしましたが、とりあえず怪我が無くてよかった!

それと、

もこちゃんとお友達でよかった🥰