脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

脳梗塞は突然に 【闘病記その1】

こんにちは、このかです。しばらくは、脳梗塞になってから入院中の事を書いて行きたいと思います。闘病記その1です。

忘れもしない、私が脳梗塞になった日、2019年6月19日。

いま思えば、前兆のようなものはあったのかもしれません。

6月に入ったころから、頭痛を感じる事が増えていたのですが、子供の頃から片頭痛持ちだった事と、住んでる地方が梅雨入りしたこたもあり、偏頭痛だろううとロキソニンを飲んで誤魔化していました。

脳梗塞になる前日の、6日月18日も頭痛を感じつつ、仕事終りに、両親と、母の友人と私の4人で外食に行く予定をたてていたので、19時から焼き肉に行って居ました。この時はまだ、数時後に脳梗塞になるなんて思いもせずに。

 

外食から帰って直ぐに母親にやっぱり頭痛が治らないこと、頭が痛いので、薬を飲んで早く寝たいと伝え、シャワー浴びて布団に入ったのが23時頃

このとき母には、薬を飲んでも直らないのはおかしいから、何かあったら夜でもいいから起こしてといわれ、私は一階の自室で、母は二階にある、当時私の部屋兼、猫部屋だった二階の部屋でそれぞれ眠りにつきました。

 

布団に入って暫くは頭痛もあったのです、が小1時間ほどで薬

が効いたのが眠れない程の痛みは無くなり、うとうとうととお夢の中へ。

 

そして次に目が覚めたのが、日付けが変わり、19日になった、深夜2時。トイレ行き、用をたし、布団へ戻ったりときに、ものすごい頭痛。今までに経験した事がない痛みに、何かおかしいとと思い

、2階の母を電話で起こし、地元の医療センターに電話すると、来ていいと言われたので母運転で病院行に向かうことに。

この時の事は自分ではあまり覚えてないですのですが、閉めたままドアにぶつかりそのまま出ようとしたりとおかしな行動はあったようです。

とにかく早く病院へと母が運転する車に乗り込みをいざ病院へ。

 

地元の医療センターへは車で25分くらいなのですが、この途中に車の中で2回嘔吐。

母が飲んいた、LAWSONの町カフェの空きカップがあってほんとうにのかよかった。ありがとう。ローソン。

これがなければ洋服も、嘔吐物まみれのまま病院に行くはめになってました。

 

 

その後病院に着き、そのまま、CT検査をするも、異常無し。

取り敢えず、痛み止めを飲み、病院のロビー横の待合室で待機することに。

1時間ほどすると、看護師さんが様子を見に来て、痛みが取れたか聞くので、取れてないと答えると、今度は座薬を投入。

その後、4時頃に再度母が看護士さんに言われた事が、CTで異常は無かったので、帰ってどうぞと。

 

母がこんなに痛がってるのに帰れない。と、訴えると、看護師さんに痛かったら、寝れませんよね?と言われたそうです。

私は頭が痛過ぎて目を瞑って痛みに耐えていたのですが、看護士さんは、それを寝ていると思ったようです。

 

母が寝てないです。

すこし、目を瞑ってうとうとうとするだけで、すぐ、頭が痛いと目をあげるんですと言っても、変わらず、病院側はいつでもかえってどうぞ。というスタンスだった模様。

 

何度何度も看護師が様子を見に来て帰宅を促す中、母がその度に帰宅を拒否して気付けは夜が開けました。

 

そして、脳外科の先生が出勤したのが朝の9時で、それから、やはりCTでは問題ないですけど、念のためにどこから頭痛が来ているのか調べる為にちょっと時間はかかりますがMR Iを撮ってみましょうか?という話になり、慌てて家を出た出た母は携帯も持たずに出て来てしまっていたので、母は荷物を取りに一旦自宅に、荷物をとりに行き、病院にかえって来た母がちょっと良いですか、と先生に呼び出され、そこで告られた事は、

もうすでにかなりの広範囲で脳梗塞になっています。

でした。

 

 

それで、うちの病院でも治療は出来るけど、まだ若いのでリハビリや、今後の事を考えると、大きな病院に行った方がいいいと言われ、11時頃から、県内にある救急病院、熊本済生会病院に緊急搬送される事に。

この時に最初はドクターヘリで緊急搬送しようという話が出たそうですが、もしかしたら、生まれつき、脳の血管が細い可能性があるため気圧の変化があるドクターヘリより時間はかかっても陸路で行った方がいいかもしれない、との事で、陸路で向かう事に。そして陸路で2時間かかる熊本市内の済生会病院へに救急搬送される途中の救急車中で、救急隊員が持ち上げた左手を離すとてを上げた状態で保持する事ができず、左手がぶらんとなり搬送中の救急車の中で、麻痺症状が現れ始めたそうです。

 

 

後から、熊本の病院で言われた事が、お母さんがしっかりしててよかったですね。

もし、看護士さんに言われるまま帰ってたら、確実に死んでましたね!!!でした…

お母さんありがとう!

あとからわかった話では、普通脳梗塞だと、呂律が回らなくなったり、手足の痺れや麻痺などが出て脳梗塞かも?と気付くそうなのですが、私が、頭痛で病院に行ったときは、喋れる歩ける、ただ頭が痛いという状態で。

 

私の年齢が31歳だった事と、最初に行ったのが、小さな町(私が住んでいる所は熊本県天草という陸の孤島のど田舎)の医療センターだった事もあり、おそらくスタッフの圧倒的な経験不足に、脳梗塞の症状が全く出ていなかった事もあり、病院側がMRIを撮るまで脳梗塞と気付けなかったんだろう…という事でした。

 

正直、ここの病院が直ぐに脳梗塞と気付いてくれていれば。

CTではなく、直ぐにMRIを撮ってくれていれば。

という気持ちが無かったかと言えば嘘になりますが、

でも最初はうちで手術も出来ますが

お若いから県のの大きな病院はの搬送を進めて下さった事にいまはとても感謝しています。

最初は私も、

ここの病院が早くから脳梗塞たら気付いてきれていたら、車椅子にならずに済んだのではないか?と思ったこともあるのですが、私が脳梗塞で障害者になるのはきっとこの世に生まれ落ちた瞬間から決まっていた事だと思うのです。

なので、私はその運命を受け入れて、誰かを恨む事なく、前向きいきていきたいと思っています。