脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

半側空間無視 【闘病記その7】

 

こんにちは、このかです。
入院後しばらくして、看護士さんに今日からゼリーを食べる練習をしてみようのいわれ、この日から毎朝看護師さんからゼリーを食べさせてもらうようになる。
オレンジ味とかパイン味とか。基本的に果物が嫌いで酸っぱいものが嫌いな私はこのゼリーがあまり好きでは無くて、看護士さんにパイン味はキライだとよくワガママを言った。酸っぱいのは嫌いだって言ったら、看護士さんが持ってきたのがはちみつレモン味。
これはすっぱくはないけど、ずっと口のなかにはちみつの味が残るから、結局あまり好きではなかった。

それをしばらく続けていたら、飲み込みに問題は無さそうだから、普通のごはんも食べて見ようという話になり、栄養を流してた、鼻の管を抜くと事に。
この管を抜いたのが
私の主治医で、恋仇でもあるN先生。気持ち悪いとかもだけど、がまんしてね、いっきにいくよ。と言われ鼻から抜かれる管。
本当に気持ちわるかった。まるで
内蔵を鼻から内蔵を引っ張り出されているかのような気持ち悪さ。

管を抜き終わったら主治医のN先生から、栄養の管も取ったし、点滴ももう辞めるから頑張ってごはん食べてね!!とさわやか笑顔で言われた。
その一部始終を見ていたAYさんが、やっぱりN先生は優しい!!!!と大絶賛してた
カッコいいってのは全然分からないけど、優しいのは事実だと認めるしかなかった。

そして、病院食を食べるようになって気付いたことが、日記の題名でもある、半側空間無視という後遺症。
半側空間無視というのは、脳梗塞の後遺症の高次脳機能障害の1つでもあるのですが、わたしの場合は、右脳に脳梗塞が起きたため、左の手足の麻痺と、左側の物が見えない、見落としてしまうという症状でした。
普通では、経験することが無いので何と説明したらわかりやすいのかわかりませんが、目には見えてるのに、脳がそれを認識しないと言う感じです。
わたしの場合は、左側の御飯に気付けませんでした。御飯の時に白ご飯を捜そうと思っても、もし御飯がトレーの左側にあったとすれば、見付ける事ができなくて、ごはんを、ずっと探していました。左側にあるものが認識出来ないので、いくら探しても見つからないんです。
白御飯は絶対的あるとわかっているのに、左側にあると絶対に見つけられない。
視力が失われいるわけではなくて、視力はに問題は無いので、見えているのに、脳がそこに御飯がある事を認識しない。

看護士さん達が御飯ここだよってトレーの左側にある御飯を右側に移動すると、
あれだけ探しても無かった御飯がそこにある。
本当に不思議な感覚でした。
のころから、言語聴覚士さんのリハビリ がスタートしました。
まずは、自分の名前とおうちの住所を書いて見てという簡単なんならものから、部屋の間取りを書いて下さいとか、ネコの絵を描いてくださいというもの。この辺は全然全問題無く出来たのですが、すごい苦手なリハビリがあって、A4サイズの紙に1〜50の数字が書いてあって、1から順番に線なぞって下さいというリハビリ 。
ごく簡単そうに思えるとおもいますが、左側が見えない私には無理難題でした。だって、探してる数字が紙の左側にあったら一生かかっても探せないんですもん。
あとは、立方体を描いて!これ、これは本当に嫌いです。
なんか、脳梗塞で右脳をやられると、立体の物を把握するが難しくなるみたいで何度もやっても立方体が描けない!
あと、このSTのリハビリ 自分の出来なさを実感させられるし、頭を使う分、めちゃくちゃ疲れるので。あまり好きではありませんでした。

この半側空間無視は病院を退院して自宅に帰った今でも、実はまだ少し残っています。病院にいる頃は、左側にある御飯を捜せない、左側の壁にぶつかる、廊下で左側を歩いている人に気付けない。自分の病室が左側にあると病室に帰れず院内で迷子状態になる。

という感じでした。今では、白ご飯など、絶対にあると分かっているものは、左側を意識して見ることで探せないってことはありませんが、たとえは、無意識のうちに携帯などを、机の左側に置いてしまうと、あれ?携帯どこだ??って事は良くあります。
ままぁ、いままでの経験で物が見つからないときは、左側を確認する!という習慣が刷り込まれているので、普段の生活で困る程の酷い半側空間無視の後遺症は残っていませんが。
とにかく自分には半側空間無視があるという事を理解して上手く付き合って行くしかないのかなとは思っています。

おしまい