脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

もやもや病発覚【闘病記その2

こんには、このかです。
今回は前回の続きです。

2019年6月18日、いや、日付けが変わり6月19日の深夜2時、
あまりの頭痛に近くの地域ー医療センターを受診。
CTでは異常がないので、薬を飲んで帰っていいですよ言われたのを母が断固拒否して、ようやくMRIを撮影。撮影すると、広範囲で脳梗塞ですと言われ、県内の大きな病院に救急搬送されることとに。
この時に、ドクターヘリで行くという話が出たのですが、MR Iの画像を見るかぎり、もしかしたら、生まれつき、脳の血管が細いかもしれない。
それなら気圧の変化があるドクターヘリより、陸路での搬送がいいかもしれない。といわれ、11時からら、車で2時間ほどかかる、熊本市内の済生会に緊急搬送されました。
搬送中は、はとにかく頭痛とサイレンの音がうるさくて辛かった記憶しかありません。
私は憶えていないのですが、この時、救急隊員の方が私の左手を持ち上げて離した所、どらんと下に落ちたため、痲痺の症状がでてます。と病院側と電話で話していたそうです。
病院について、私は、HCUという、ハイケアユニットに運ばれ様子を見ることに。この時に親は、もしこのまま脳が腫れるようなら、頭蓋骨を外しますという説明を受けたそうです。
病院についてからの私の記憶は、
浪漫飛行うるさい!。
なんと、ここのハイケアユニットのナースコールの音が浪漫飛行で、誰かがコールを押すたびにあちこちから聞こえてくる浪漫飛行
まぁ、このときはまだ頭が痛すぎて、自分が脳梗塞だと分かってませんでしたが、先生からは、こんなに若くて脳梗塞なら、もしかしたらもやもや病かもしれないね、脳が腫れて頭蓋骨で圧迫されると、脳ヘルニアになって危ないないからその時は頭がい骨を外すねって言われたのはなんとなく憶えてます。
頭蓋骨外しますって言われても、頭が痛すぎまて、この痛みから解放されるなら、何だって良いわ!って感じでした。
そして、その後、順調?に脳も腫れ、翌日20日16時から頭蓋骨を外す手術をする事に。この時は、記憶もあり、様子を見に来た母に、16時から手術だって!と言ったみたいです。覚えてないけど笑


そして、その時に母に言ったのが、私のことはいいから、猫をよろしく

だったそうです。
実は、猫好きがこうじて、個人的に猫の保護、里親捜しをしてて、実は脳梗塞になる数日まえにとも黒い仔猫を保護していたので、その子の事も心配で。
でも、私のその一言のおかげで、私が入院する6ヶ月の間。母は、飼猫と保護猫6匹のお世話をしてくれてました。
片道3時間近くかかる私の病院に通いながら。
本当に感謝しかありません。
お母さんありがとう!
そして、手術の時間になり手術。全身麻酔なので、私は全く記憶にないです。
手術は16時から、22時まで6時間の手術だったようで。その間は母は待ち合い室で待機していたのですが21時には消灯で真っ暗になるし、かなり不安だった様子。

私は手術が終わってからの記憶は、とにかく頭が痛い。
頭開いて頭蓋骨外してるのであたりまえですが。傷口が痛いとかでは無く脳が痛いってかんじでした。そして定期的に聴こえてくる浪漫飛行
うるさい。痛い、うるさい。ただそれだけ。

次に覚えてる記憶は、あつい。
かんかあついすごくあつい。
ナースコール押す、聞こえてくる浪漫飛行、すくぐに車看護師さん。暑いと伝えたいが、喋れない。のどなにか入っている様子。
声が出せないので、布敷き布団になんども、
あつい
と書く。
看護師さんにあついの?と聞かれる

伝わった!
何度もうなずくわたし。
看護士さんがふとんをはぐ。

涼しい!!!!!


頭は変わらず痛けど、暑さからは開放された!

この時、喉には呼吸用のチューブが入り、鼻には栄栄養を流すチューブが。

太腿の付け根には点滴で全身管だらけ。

しかも、麻痺が出ておらず、唯一動く右手は、鼻から流しているチューブを抜かないようにと、拘束されていて、全く、動かせない、動くのに動かせない、これはかなり辛かったです…。

私はとにかく頭がいたくて、この頃の記憶は、あまりないです。

最初の頃は、頭が痛い、うとうとする、頭が痛くて目がさめるを繰り返していたのですが、頭の頭蓋骨を外す手術して2日ほど経つと、1日の流れがなんとなくわかって来るようになりました。
この頃になって、喉に入ってる酸素の管を抜こうって話になり、先生らしき人にあーって声をだしてと言われる。
でも、これが難しい。だって、喉にチューブが入ってるのに声出せないもん。
先生から声が出せないとくだ抜けないよ。と言われ頑張って出そうとするが、全く出ない。そしたら先生が急がなくていいから、また週明けに試そうねっと言われ。この日は結局管は抜けず。
ですが、週明けのテストで無事に声が出せて、喉から酸素の管が抜けたのが、手術から4日後の6月24日月曜日。
この時に実感した事がしゃべれるって素晴らしい!

私は脳梗塞の後遺症に失語症は出てなかったので、管を外したてしばらくは咽が痛かったですが、直ぐに話しが出来る様に鳴りました。ナール押して看護師さんにどうして欲しいかも言えるし、本当に良かった。
でも術後落ちつき、1日の流れが分かるようになって困ったことが事が、夜寝れない。
一日中、、寝ては頭痛で起きてを繰り返していたので、21時の消灯の時間になって、ハイケアユニットが暗くなっても全然ねれない。
ある日看護師さんさんに、寝れないというと、睡眠薬をくれて。それを飲んで、やっと夜、寝れました。
でも、次の日は寝れないって言っても睡眠薬が貰えなくてまったく寝れず、一晩中、あちこちから流れてくる、浪漫飛行を聞いて過ごしました。


次の日はもまっまく寝れず、ナース押して、看護士さんを呼び、眠れる薬下さいとたのむが、だめ!!といわれる。
悲しい。

そらに対して言ったことが、
別にくれないならそれでもいいけど、その変わり、朝まで騒ぎますよ!!です。
この時に言われた事が千と千尋みたいなこといわないの!でした。


千と千尋
坊の遊んでくれないとと泣いちゃうぞ。の事か?
それから、この病院を退院するまで定期的にいわれ続けた事が、自分は、看護士になって8年たつけど、患者に脅されたのは、貴方が初めてです。でした。

脅したつもりはないんだけどなー。
ごめんね看護士さん!

とりあえず今日はこの辺で。