脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

退院日決定【闘病記その19】

こんばんわ。このかです。

2019年の6月19日に国の難病にも指定されているもやもや病から脳梗塞になり、20日腫れた脳が頭蓋骨で圧迫され危ない状態だったので、脳が腫れている部分の頭蓋骨を外し、

7月16日〜10月31日まで、熊本のリハビリ病院、桜十字病院でリハビリを行いながら脳の腫れが引くのを待ち、脳の腫れがひいた10月31日にまた熊本済生会病院に戻り、翌日、11月1日に外していた頭蓋骨を戻しました。

ちなみに頭蓋骨を外している間は私の頭蓋骨は冷凍保存されていたようです。

 

無事に頭蓋骨が戻ってきたお陰で、ベッドからの起きあがりや、エレベーターで頭に激痛が走る事もなくなりました。頭蓋骨凄い!

頭蓋骨を戻したよく日はリハビリとして車椅子に移りご飯をたべ、術後2日目の3日からは、本格的なリハビリがスタート。

桜十字で行っていた時のように、歩行練習も始まりました。

桜十字の頃と違う事は、頭蓋骨をもどしたので、もうヘッドギアを付ける必要がないって事かな。この頃のスケジュールは、朝の7時に起床、ラウンジという、患者があつまってご飯を食べる食堂の様な場所で朝ご飯をたべる。

食べ終わると、10時のリハビリがスタートするまで、院を車椅子でうろうろ。

そして10時〜11寺までリハビリし、リハビリがおわったら12時のリハビリまでまた院内をうろうろ。そしてごはんをたべ14時のリハビリまで院内をうろ。そして1時間リハビリし、これで一日のリハビリ終了なで、夕食の18時まで少しベッドで休みます。

定期的にベッドに横にならないと車椅子に座りっぱなしだと恐ろしく足がむくむので、適度な休息は必要なのです!そして18時から夕食を食べ、就寝時間の21時まで院内をうろうろ!

これが基本的な行動パターンです。

 

ほとんど院内うろうろですが、院内うろうろしてると、結構な確立でAYさんや、Aりんに会えるのです。

そして院内で会うとAYさんが優しい。

AYさから会うためには、ハイケアユニットに行かないといけないのですが、基本的にはイケアユニットは患者の親族以外立ち入り禁止なんですね。

そんなある日、朝から院内をうろうろしてると、AYさんに出い、

テンション上がっていると、

毎日毎日うろうろして、、どうせ暇なんだかろうから、ハイケアユニットに遊びに来ていいよ、私昼までなら居るからって言ってくれたり。

あと、私がAYさんを好きなのは基本的に看護師さん達はみんな知ってるので、院内をうろうろしてたら、AYさんに会いに行こう!!ってハイケアユニットまで連れていってくれるんです。嬉しい。

なぜかわからないけど、院内をうろうろしてるときにAYさんにらあうとAYさんが優しい。それが嬉しくて無駄にウロウロしてしまうんですよね。

 

 

 

そしてずっとうろうろうろしてると主治医にも良くあって、ある日主治医が、元気そうだから11月9日に退院してよし!と。

退院といっても天草の病院に転院ってことなんですけどね。

そして、退院の日が迫って来た111月7日。

いつもの様に院内をうろうろしてるとAYさんに遭遇。

のんちゃんこんな所にいたんだ、探したよーと言われる。

話をきくと、

Aりんから私が9日で退院するので、会いに行ってあげてといわれたようで。

あっかりーん!!さすが天使!マイエンジェル!!

実はAYさんとAりんはプライベートでも仲が良く、AYさんが作り過ぎた豚汁をAりんに差し入れたりする仲のよさ。

そして私はそれをAりんから、私AYさんの豚汁食べたんだよ。いいでしょー!と自慢された。

でも、好きな2人が仲良しって話を聞けて、私もなんだか幸せ!

済生会退院するのもあと少し、もっと院内をうろうろして、AYさんならたくさん会わないと!とこころに決めた私でした。