脳梗塞で片麻痺になった私が保護猫カフェを作るまで~

2019年に31歳で、もやもや病から脳梗そ左片痲痺の車椅子になった私が保護猫カフェを作るまでの記録です

一般病棟に異動【闘病記その9】

 

その日は突然やってた。
7月12日の朝、いつものように、Aりんの顔をみて。あかりん今日も可愛い!マイエンジェル!と叫び、Aりんから、意識レベルクリア!!オッケー!と言われた後、
このかちゃん、おめでとう!今日の午後から一般病棟に移動になるよ!
お母さんはもう連絡したから!
1時になったら移動するからね!
と。
ハイケアユニット内は完全携帯使用禁止だったが、一般病棟に移れば携帯解禁となる。それはうれしかった。
だが、わたしには気になることがひとつあるこのであかりんにきいた。
一般病棟にAYさんいる???

そう、AYさんはは、ハイケアユニットのナースなので、一般病棟には居ないのである!!!!

大変!!!!!!
行きたくないと駄々をこねる私。
そこに颯爽登場するAYさん、
あれ?いつもの制服じゃない。
なんと眼の前に居たのは私服のAYさん

おそろしく可愛かった。まだ、出勤したてで、休憩室で私がゴネてると聞いてそのまま出てきたみたい。
そして、ワガママ言う人キライ!と言われる。

 

相変わらずわ冷たい!でも好き!!!

そして御飯ちゃんと前部食食べていい子にしてたら、会いに行ってあげるから、さっさと行けというAYさん。

その言葉を疑うこと無く信じて、わたしは一般病棟に移動になりました。
携帯を使えるが、いつも見える所にAYさんが居ないという代償と引き替えにして。

結果からいうと、AYさんさんはなかなか会いにきてくれませんでした!
Aりんは数日に1回のペースで会いに来てくださいくれたけど!さすがAりんマイエンジェル!
あとは、恋敵のN先生は主治医なので、毎朝、顔みに来るんだけど、いままで慣れ親しんだナースさんたちは一人もいない一般病棟、
携帯が使えるおかげで、友達と連絡取れる様になったけど、やっぱり淋しい。

 

だから、一般病棟にうってからは、AYさんの話しは主治医のN先生にするようになった。
N先生に言ったことが、AYさんさんに好きっていったのに、N先生が好きだからって相手にしてくれないんですー。
N先生は満更でもなさそうに笑ってた。
あと、どうやったらハイケアユニットに戻れますか?て聞いたら、なんで戻りたいの?って聞かれたので、AYさんさんに会えなくてい生きる気力がわきませんっていったら、AYに(N先生はAYさんのこと呼び捨てにする、わたしも呼び捨てで呼んだことないのに!)会いたいって理由だけで、ハイケアユニットには帰れないから、AYにはちゃんと会いくるように言っとくね。だって!
N先生やさしい!!!
N先生ありがとう!どこがかっこいいかわからないとかいってごめんなさい!

そして、N先生かがAYさんに伝えてくれたのか、その日の内にAYさんが会いに来てくれた!
でも、わたしをみて言い放ったことが、
N先生にハイケアユニットに戻りたいって言って困らせたでしょ!N先生困らせるひとほんとむりー。
もう逢いに来ないからね!!!!!!
でした!


AYさんごめん!
でも、その後も病室まではなかなか来てくれなかったけど、リハビリ中とかには様子見にきてくれた!
というか、私が色んな人に、AYさんが、好きだ、AYさんは元気にしてますか?って言いまくったせいで、AYさんが居ないとこのかがやる気出さないから、ひまならちょっと顔出して!!ってリハビリ のひとがよくAYさんをリハビリ 室まで呼び出してくれた
そして顔みるたびに、かわいい、好きだ、愛してる連呼してたら、いままで生きて来てこんなに人に好きって言われたのはじめて。
とよく言っていた。

我ながらほんとウザいくらいスキスキ言った自覚はある。
本当にあの時はAYさんが生きる気力だったと思う。たぶん、AYさんが居なかったら、急に不自由になった体で精神を病んでいたと思う。
AYさんが好きすぎて、

回復して退院した後の、AYさんとの未来を妄想するのが忙し過ぎて、病んでる時間なんてなかった。
たしかに入院する前から、可愛い女の子は好きだったけど、もちろん、恋愛対象は男の人だし、同性の異性問わず、そんなに人にスキスキいうタイプの人間では無かったので、親にもまるで人が変わったみたいだってよく言われたし、親が主治医にも、同性の看護師さんに、好きだ結婚しようとかいうし、頭までおかしくなったでしょうか?って聞いてた。N先生は、笑ってた。
笑うしかないって感じだったけど。
取りあえず、本当にここの病院では皆んなに良くしてもらえたと思う。
今後も、もやもや病の検査で年に一回は受診しないといけないので、AYさんにもAりんにも会えるからたのしみ!
ちなみに今度の受診は6月です。ちょうど脳梗塞になって1年なので、その頃にはリハビリ頑張って、少しでも装具つけて杖で歩ける様になってたらいいなっておもうのでリハビリ がんばらねば!