骨入れ日の決定! 【闘病記その13】
こんばんわこのかです。
今回は前回の続きです。
ということで、前回までのおさらい。
2019年の6月19日、国の難病にも指定されている、もやもや病から脳梗塞になり、脳が腫れて危ない状態だったので、翌日20日に右側の頭蓋骨の一部を外し、
7月16日に頭蓋骨を外したまま、リハビリのために熊本の桜十字病院というリハビリ病院に転院して、頭蓋骨を戻すために、頭の腫れが引くまで桜十字でリハビリを続けていました。
桜十字に転移して1ヶ月と半がたった8月29日に、脳の腫れが引いてきたため、骨入れに戻りたいと連絡すると、済生会に連絡すると、骨を外した時は命の危険があり、緊急手術だっため、血液検査などの検査を何もせずに頭蓋骨を外したので、今度は時間もあるし、全身麻酔もする為、しちんと検査をして骨を戻す手術をしたいという執刀医の意向により、手術前に1度済生会病院を外来受診して、検査をする事に。
その検査をしたのが、10月月2日。
本当はこの日に手術日が決まる予定だったんですが、尿検査、血液検査、下肢エコー、肺活量の検査をした結果、31歳女性の平均肺活量に達して居ない事が分かり、肺活量は、吸い込む力も吐き出す力も平均より弱いということで、肺が堅くなる病気などをもっていないか、一度、呼吸器内科を受診てほしいと言われ、10月9日に、再度、済生会を受診し、胸部のCTを取りました。
その結果、肺活量が少ない理由が判明!
執刀医の先生が懸念していた、肺が堅くなるよるう病気ではなく、
横隔膜の位置が、ほかの人より高い位置にあるようで、そのせいで、空気を吸おうとしても横隔膜が邪魔をして、たくさん息を吸えないため、肺活量も少なくなっているのだろう。ということで、骨を戻す手術には影響はないと。
やったぜ!
ということで、いつ骨を戻しますか?という話しなり、最短で手術出来る日が11月1日だったため、手術前日の10月31日に済生会に転院する事が決まりました!
桜十字に戻って、WKさんにも報告すると、きまって良かったねとすごく喜んでくれたのですが、転院の日が決まったという事は、WKさんとの別れの日も決まったという事ですす。
10月月31日まで、3週間しかない!
とにかく、WKさんんとの1日1日を大切にして行こうと心に誓ったのでした。
それでいいのかWKさん(_ _).。o○【闘病記その14】
子今回は正直、闘病記とはあまり関係無く、私がWKさんとお話して、WKさんが今、幸せなのか不安になり号泣した話でです。毎度の事ながら、前回までのおさらい。
2019年の6月19日、国の難病にも指定されている、もやもや病から脳梗塞になり、脳が腫れて危ない状態だったので、20日に右側の頭蓋骨の一部を外し、
7月16日に頭蓋骨を外したまま、リハビリのために熊本の桜十字病院というリハビリ病院に転院して、頭蓋骨を戻すために、頭の腫れが引くまで桜十字でリハビリを続けていました。
その後なんとか頭の腫れも引き、10月31日日済生会に戻り、翌日の11月1日に頭蓋骨を戻す手術がぎりました、これが前回までのお話し。
そして。今回の話でもある、WKさんんは、私が桜十字に転院してきて、大好きになった、私の担当の理学療法士さん。
ちなみに、既婚者で私と同じ31歳の女性。
恐ろしくかわいくてキレイ。
同級生と言うこともあり、話は合うし、リハビリより、話をした時間の方が長かったのではないかと思うくらい、話を沢山しました。
本当に毎日のリハビリが楽しかった。
そして、いろんな話しをした中でWKさんから聞いた話のひとつ。
WKさんの旦那さんは、趣味がマラソンって人で、雨が降ろうが、風風が吹こうが、台風だろうが、どんな天気でも毎日1人で走りに行くような人。
ご飯も、低脂質高タンパクにこだわっており、米は食べない、麵類も小麦粉で炭水化物だから食べない、食べるのは、野菜と、鳥のささみだけ。
なので夕御飯はWKさんが仕事終わってから、毎日、鳥のささみのスジをとり、叩いて、伸ばし、チーズなどを挟んで料理をしていた
フライ物もパン粉に小麦子を使ってるから絶対に食べないいう徹底振り。とてもストイック。
それに合わせてあげてるWKさんは凄いと思もう。
だから、私はそれくらい尽くせるくらいの素晴らしい旦那さんさんだと信じていたのですが、ある日WKさんと話をしていると、旦那がストイックすぎて大変な事も多いと。
旦那さんは趣味がマラソンなので、全国いろいろなマラソン大会に参加していて、大坂城マラソンにも参加した事があり、その時は、WKさんも仕事が休みだったので、観光気分で着いていったと。
そして。WKさん的にはせっかくの大阪なので、夜はお好み焼きが食べたかった。
でも、旦那さんはストイックすぎて、家での食事は野菜ととりのささみだけ。
そして、県外に出た時は、やよい軒の、このメニューを食べると決めているようで、県外に遠征にいっても、食べ物に縛りがあるので、WKさんも旦那さんに付き合ってやよい軒に行く事になり何処に行こうが、やよい軒の御飯しか食べれないと。
だかりわたしは、WKさんに言った。
旦那さんがマラソン走ってる間に、WKさんは観光したやらいいのじゃないの?と。
そうしたたりWKさんは言った。
旦那は自分の走ってるファームを気にするので、まず、スタートで見送ったら、中間地点に先回りして、走って来る旦那のファームを携帯で撮らないといけないと。
しかも旦那は、筋疲労を嫌い、荷物を待つと、腕の筋肉を、使い、走るフォームに支障がでると、荷物を一切持たないと。
だからWKさん自分の荷物に旦那のマラソンの荷物を待って移動をしないといけないので、中間地点で待っていないといけないこともあり、観光なんて出来ないと。
ちょっと意味がわかりません。
だから、飛行機を使った遠征や、泊りがけの遠征なんてほんとうに荷物が大変だと。
だから、車で行ける範囲なら車で行くそうなのですが、車の運転をするのはWKさんで、旦那はずっと助手席で寝て居ると。
この話しを聞いた時に、私はWKさんが本当に幸せなのか不安になって号泣した。
その日の夜なんて、一晩中悶々して一睡も出来なかった。
そして、WKさんの、 性格だと、最後には、義務感とか責任感だけになってしまいそうだと伝えたら、実際に、義務感だけで、愛情はもうない。と言っていた。
最初はおかしいなって思っていたけど、そんな生活を毎日のように続けていると、それが当たり前になってきて、いまの生活に疑問を感じなくなって行く、慣れって怖いと言っていた。
ある時は、旦那さんの大きなマラソン大会が終わり、やっと食事の摂生をする必要がなくなったから、たまには美味しいご飯が食べたいとい話になり、WKさんも、晩ご飯を作らなくていいように外食しよう!!というはなしになった日も、WKさんは外食自体久しぶりだし、なんの美味しい今の食べに連れていってくれるのだろうと期待していたら、餃餃子の王将つれて行かれて、餃子の王将で済まされてしまったと。旦那的には、餃子の皮も小麦粉なので、普段は食べれないから餃子を食べたかったらしいが、嫁が作った手作り餃子が食べたいとかではなく、まさかの餃子の王将ですよ。
わたしなすきですけどね、餃子の王将!
そんなこんなで、
WKさんめちゎくちゃキレイで
かわいいし、WKさんには、もっとWKさんの事を考えて、尽くしてらくれる男性が居るとおもう!!と伝えると、
それは常日頃から私も思ってると苦笑いしてた。
まだ子供も居ないし、離婚するな今だと私は思う!
私は今でもWKさんの幸せを祈っています!!!!
桜十字で最後のリハビリ【闘病記その15】
こんばんわこのかです。
2019年の6月18日に脳梗塞になり熊本済生会病院に入院、 脳が腫れたため、21日に頭蓋骨を外し、7月17日にリハビリ病院の熊本県桜十字に転院し、脳の腫れがひくまでおよそ、3ヶ月半リハビリに励み、脳の腫れが引き、10月31日に済生会に転院し、翌日の11月1日に頭蓋骨を戻す手術が決まった、ここまでが、いままでの日記の大まかな流れです。
今回で闘病記も15になりました。
今月中には、退院までを書き終わり、その後はただの日記になる予定です。
10月31日に転院が決まって毎日ぶるーな気持ちで毎日を過ごしていました。
本来は、済生会で骨を戻したら、退院日の12月13日までは桜十字でリハビリを続ける予定だったのですが、住宅改修支援の問題で、桜十字では、病院がある熊本市から、自宅の天草まで、距離的に自宅訪問が難しいため、済生会で骨入れをしたら、もう桜十字には戻らずに、住宅改修支援が可能な天草の病院に転院する事が決まったのです。
つまり、済生会に転院すると、もうWKさんとは、会えない。でも、済生会に行けば、AYさんとAりんには会える。
AYさんやAりん、WKさん、誰それ?気になるぞ!って方は御手数ですが、私の過去の闘病記を読んでもらえればありがたいです。
めんどくさいですか?ごめちゃくちゃ簡単にせつめいすると、
AYさんとAりんは済生会の私が大好きな看護師さん
WKさんのは桜十字の担当の理学療法士さんで、同じく、私が大好きな人。
ちなみに私も女ですし、AYもWKさんも女です。でも、わたしはレズじゃないよ!!!可愛い女性ととキレイな女性が好きなだけだよ!!!
下心はないよ!いや、AYさんには、好きすぎて、お金払うからベッドで添い寝してって要求したし、WKさんには、かわいいって言いながら、二の腕とかお尻とかべたべた触ったけど!!!そんなこよしまな気持ちはないよ!!!ほんとだよ!!!
そして、どんなに転院嫌だと思っても、残酷にも時間は過ぎるもので、だんだん近づいてくる、転院日。
退院の日はリハビリはないので、10月30日が、桜十字での最後のリハビリ。
もう骨を入れて、桜十字には戻って来ないので30日が、担当のリハビリさんと最後のリハビリ。
30日は、いつものように、10時からSSTとのリハビリ。
SSTは、転院の日の31日は休みなので、SSTに会うのもこの日が最後。
病室からリハビリに使う言語聴覚室に移動する時に途中で、スタッフステーションにいたWKさんにも、SSTと最期のリハビリ?頑張ってねー!と、言われ、
SSTもWKさんに、自分明日休みなので、今日で本当に最後なんですって言ったら、WKさんのに明日休みならお見送りに来てもいいんだよって言われて笑ってた。
結局、転院日にSSTはお見送りには来てくれなかったけど、WKさんは休みなのにわざんざ見送りに来てくれた!女神かな!!!
SSTとのリハビリはいつもはパソコン入力の練習だったんですが、この日は、SSTに周辺視野を広げたいって相談をしたら、なんで視野が狭くなっているのか説明しくれた。
すごい難しいはなしでよく分からなかったけど、
あと、右脳がやられたせいで、問題解決能力が下がってる事についても丁寧に説明してた。
これはこれはわかりやすかった。
理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の中だと、言語聴覚士が一番頭がいるそうなのですが、確かにSSTはとても頭がよかった。
とかく勉強がすきみたいで、10センチ位の厚さのある教科書を購入してよく勉強してる姿を見た。
そして勉強で徹夜とかして、私とのリハビリ中にいつも眠いと、あくびを連発してた。
あと、10月頃から、ずっとスノボ行きたいから早く12月にならないかなーって言ってたから、今ごろはスノボ楽しんでるかな?
でも今年は暖冬だし雪が少なくて滑れてないかもな。
8月のボーナスで新しいウエア買って、早く着たいって言ってたから、着れてるといいけど。
そんなこんなで、10月30日のSSTとのリハビリは、SSTの難しい話を聴いて終了1時間ずっと話聞いてただけだったので、リハビリはしなかったけど。充実した一時間だった。
その後は11時からWKさんとのリハビリ。WKさんとのリハビリはいつも通りに、リハ用ベッドの上ですこし足を動かしてから歩行練習。
歩いたあと、WKさんに、本当にありがとうございますって伝えると、考えれば、歩けるように成ったって本当にすごいよね!!って言ってくれた。正直、最初の状態だと、ここまで歩けるようになるって思ってなかったみたいだし、普段から、出来なかった事が出来るようになったらめちゃくちゃ喜んでくれたので、私も頑張れたし、うちの母親が転院の時に本当にお世話になりました。
うちの娘が好きすきいったり、WKさんのFacebookとか特定してご迷惑かけてごめんなさいっていったら、
私もリハビリ中にこのかさんとお話するのとても楽しかったですし、呑み込みが早いので教えたらどんどん出来るようになってくれるので、私も担当として本当に嬉しかったし、やりがいがありました!って言ってくれたみたいで、WKさんはやっぱり女神だとおもう。
そして、WKさんとのリハビリ も終了。
おひるごはんと午後からの休憩を挟んで、16時からピンクパンツとのリバリビリ。
WKさんも、よりにもよってピンクパンツが桜十字での最後の最後の最後にリハビリかぁって笑ってピンクパンツからも、最後のリハビリがWKさんさんじゃなくて。俺で、さーせんデースと、なぞの謝罪を受けた。
リハビリ中はずっと近くいたWKさん凝視してて、WKさんからも、最後くらい真面目にやってあげて!!って言われたから仕方なくまじめにリハビリした。ピンクパンツとも基本的にリハビリ中はしゃべってばっかりだった。
話題は、基本的はWKさんの素晴らしさとか、シモネタばっかり。
いちばん盛り上がった話は、私が入院前にオッパブに行きたくて男友達と行ったら、おんなだって理由で私だけど入店拒否くらったはなし。
で、オッパブリベンジしたけど、左手が動かないと女の子のオッパイ揉めないから頑張って動くようにしてよ!ってピンクパンツに良くお願いしてた。だからいつかリハビリ して左手が動くようになったら、ピンクパンツと一緒にオッパブにいくんだ!!
でも、一緒に行ったらはピンクパンツが舐めまわしたおっぱいが回ってくるからそれはなんか嫌なんだよね。
だから、だれか私と一緒にオッパブに行ってくれる女の子を募集してます!!!
今日は酷いは下ネタでしたね、すみません。
ついにきた転院日!【闘病記その16】
このかです。
闘病記16です。
2019年6月19日に脳梗塞になり、熊本済生会病院に入院.脳が腫れ頭蓋骨で圧迫され危ない状態だったため、20日に頭蓋骨の一部を外す手術を行い、普通は一週間ほどで頭の腫れが引き、頭蓋骨を戻す手術をするのですが、私の場合はなかなかはれが引かずに、頭蓋骨を戻す手術が行なえず、今はリハビリに専念した方がいいと言われ、7月17日にリハビリのため、熊本桜十字病院に転院、三ヶ月半リハビリに励み、11月1日に済生会で頭蓋骨を戻す手術を受ける事になりました。
ここまでが、いままでの闘病記の大まかな流れです。
そして、10月に31日、スタッフの皆さんに見送られ、私は頭蓋骨を戻すため、桜十字を退院しました。大好きな担当の理学療法士のWKさんも休みなのに御見送りに来てくれて、むみなさんに見送られて私は桜十字病院から旅立ちました。
済生会で骨入れした後は桜十字には戻らず、天草の天草慈恵病院に転院が決まっていたので、退院する時ははやはり、寂しかったです。
でも、悲しんでいても仕方ないので、済生会までの介護タクシーの中ではずっと、やっとAYさんにあえる!それだけを考えていました。
桜十字から済生会までは、車で30分ほどなので、AYさんとAりんの事を考えていたらあっという間に済生会に到着。入院手続きを済ませ、 案内されるまま病室へ。
案内されたのは、偶然にも、リハビリのために桜十字病院に転院するまで使っていた場所と同じ、一般病棟と同じ病室でした。
なつかしい!3ヶ月半ぶり!
見覚えのある看護師さんもちらほらいて心強い。
病室につき、早速、済生会にのベッドに移る。
まだ済生会に居る時は麻痺がひどく、車椅子からベッドに移乗する時はガチムチの男性3人かりでベッドに移っていたのですが、桜十字病院で3ヶ月半みっちりリハビリに励んだお陰で、看護師さん達の手を借りる必要も無く、1人ベッドに移乗。
そ場にいた看護師さん達もびっくり、三ヶ月半で何があったの?
リハビリ頑張ったんだね!と言われ、御満悦の私。
私もがんばったけど、私が頑張れたのは、やはり、WKさんやSSTやピンクパンツという、素晴らし療法士さん達に出会えたからだとおもっています、ありがとう、桜十字!ありがとうリハビリのみなさん!
病室でまってる間もずっと、頭の中は早く、AYさんに会いたい、そればかり。
ちなみに、AYさんとAりんは、一般病棟ではなく、HCUというハイケアユニットの担当看護士さんので一般病棟には居ません。
ということで、この日は、AYさんとAりんには会えず。残念。
でも神はあ私を見離して居なかった。
その後病室で待っていると、明日、私の頭蓋骨を戻してくれる主治医で執刀医の先生が挨拶に。
手術〜手術迄の流れはは、翌日の午後から頭蓋骨を戻す手術を行い、
その日は術後の経過観察のらため、HCUに一泊し、問題がなければその日の午後にはまた一般病棟に戻るという話をされました。
つまりは、手術をした後はAYさんやAりんがいるはイケアユニットに行ける!2人にあえる!!!!
神様ありがとう。
嬉しい😆
そして、早く二人に会いたいなぁーなんて思ってるうちにあっという間に夕食の時間!
三カ月半ぶりの済生会での御飯!
この日はハロウィンだったのでオバケのデザートまでついていました。
ただ、なんと、済生会に戻ってきて、また、お粥復活。
済生から桜十字病院に転院してやっと普通の御飯が食べられるようになったんですが、済生会にかえってきたらまたお粥に逆戻り。私は悲しい。
私は、6月に脳梗塞で済生会に入院して、退院するまで、済生会、桜十字、天草慈恵病院と三つの病院に行きましたが、ごはんが1番美味しいのは桜十字病院でした!
本当に桜十字は全てに置いて素晴らしい病院でした。
ちなみに、これが桜十字で最後に食べたお昼ご飯です。
そして、こちら↓↓が、骨入れ後、転院した天草慈恵病院で食べる事になる御飯です。
桜十字病院の、ごはんがどれ程すばらしいかお分かり頂けたでしょうか?
それなのなに私は桜十字病院に居るころは、WKさんが好きすぎて胸が苦しくて御飯がたべれないとかいって、よくご飯を残していました。本当に大馬鹿野郎だったとおもいます。
ごめんなさい、桜十字の給食部のみなさん、ごめんなさい、看護師さんのINさん。
このINさんというかんごしさん、とにかくわたしに御飯を食べなさい!とめちゃくちゃにうるさくて言ってきた看護師さん。
私がご飯を食べないと、最終的には、あーんで口の中に突っ込んでくる。
私が食慾がなくてご飯が食べれなくて、ある日、心配したWKさんがやってきて、あーんしてくれたんだけど、それでも食べわなかった私。。その後にINさんが来て、私にあーんして来たのですが、
私は、WKさんからの食介で食べなかったのに、INさんの食介で食べる様な、不誠実な事は出来ません!!と食介を拒否したことまありました。
その時は、WKさんに私のせいで、御飯食べないみたいな言い方するのやめてって怒られました。
そして、いま考えたら、なんで、WKさんの食介を拒否してしまったんだろう、本当に私は大馬鹿野郎でした。
いまでも悔やんでいます。
ピンクパンツとSSTの食介では食べた事あるけど、退院した今、WKさんの食介で食べると事なんてしたくても出来ないのに!!!
あっかりーん!マイエンジェル!闘病記その17】
このかです。
今回も前回のつづき、闘病記19です。
無事に頭蓋骨を入れる手術も終わり、手術をした11月1日の夜はAYさんやAりんがいるはイケアユニットで1泊した私。
翌朝、看護士さんに、採血をすると言ってもおこされる。
AYさんかとおもったが、別の看護士さんでした。残念。
私は6月に入院した時から血管が出づらく、採血の時は看護師さんは毎回た大変だったのですが、
案の定、この日最初のかんごしさんは失敗。
ごめんね。ちょっと、まってて、助っ人つれてくるから!といって去って行く看護師さん、そして、助っ人として現れたのは、なんと、AYさん!
顔を見るなり、採血をするために、私の手を縛りあげ、ひと言
のんちゃん!もっと痩せて帰ってこないと、採血出来ないじゃん!
これが再会後の第一一声でした。
というのも、私、6月に入院した時に、AYさんがすきすぎて、何度かAYさんに100万円払うからベッドで添い寝してくれと要求したのですが、このかちゃんと寝たら私潰されるから、痩たら考えてあげると言われていたので、済生会に骨入れするまでに痩せて帰ってきてAYさんに添い寝してもらうそんな目標もあったりしたんです、
AYさんからはもっと痩せて来ないとだめと言われましたが、実はそれでも済世会にいる頃より、19キロ近く痩せたのです。
実際、済生会のレンタルパジャマが、6月に入院していた頃より、ツーサイズ小さくなったので。
そして、なんとか私の腕から採血をするとこに成功したAYさん。
とるなり、
わたし、、流石やろ?と言ってました!カッコイイ!!!!すき!って叫ぶと、そういうのいいから、昔から私の事好きとかいいながら、Aりんに天使天使言ってたからこのかちゃんの言葉は信じられない!!噂をすればほら、Aりんきたよ、このかちゃんに、会いにきてくれたよ、よかったね じゃあ、私は仕事に行くからと去っていくAYさん、そして、
このかちゃん久しぶりー!!!と入れ替りに現れるAりん
あっかりーん!108日ぶりのあかりんも相変わらず天使!!!と、叫ぶと、
意識レベルクリアオッケー!というAりん、
このやり取りも久しぶりだ、懐かしい。
そして、リハビリさんが、やってきて今日からリハビリ始めますよと。
とりあえず今日は車椅子にすわって御飯を食べようということで、車椅子に座って朝ご飯。
そして当たり前のように出て来るおかゆ。
お粥が嫌すぎて食べないでいると、AYさんから、たべてないよ、まだ左側見えないの???と。
確かに済世会に居る時は半側空間無視が酷くてごはんが左側にあったら探せないでいたけど、今はみつけられるよ!SSTのリハビリのおかげで!!!
AYさんにどやされ、仕方無しに御飯を間食すると、執刀医の先生が様子を見にきて、問題なそそうだから一般病棟に移っていいと
ということで、またAYさんとお別れ!寂しい。
退院日決定【闘病記その19】
こんばんわ。このかです。
2019年の6月19日に国の難病にも指定されているもやもや病から脳梗塞になり、20日腫れた脳が頭蓋骨で圧迫され危ない状態だったので、脳が腫れている部分の頭蓋骨を外し、
7月16日〜10月31日まで、熊本のリハビリ病院、桜十字病院でリハビリを行いながら脳の腫れが引くのを待ち、脳の腫れがひいた10月31日にまた熊本済生会病院に戻り、翌日、11月1日に外していた頭蓋骨を戻しました。
ちなみに頭蓋骨を外している間は私の頭蓋骨は冷凍保存されていたようです。
無事に頭蓋骨が戻ってきたお陰で、ベッドからの起きあがりや、エレベーターで頭に激痛が走る事もなくなりました。頭蓋骨凄い!
頭蓋骨を戻したよく日はリハビリとして車椅子に移りご飯をたべ、術後2日目の3日からは、本格的なリハビリがスタート。
桜十字で行っていた時のように、歩行練習も始まりました。
桜十字の頃と違う事は、頭蓋骨をもどしたので、もうヘッドギアを付ける必要がないって事かな。この頃のスケジュールは、朝の7時に起床、ラウンジという、患者があつまってご飯を食べる食堂の様な場所で朝ご飯をたべる。
食べ終わると、10時のリハビリがスタートするまで、院を車椅子でうろうろ。
そして10時〜11寺までリハビリし、リハビリがおわったら12時のリハビリまでまた院内をうろうろ。そしてごはんをたべ14時のリハビリまで院内をうろ。そして1時間リハビリし、これで一日のリハビリ終了なで、夕食の18時まで少しベッドで休みます。
定期的にベッドに横にならないと車椅子に座りっぱなしだと恐ろしく足がむくむので、適度な休息は必要なのです!そして18時から夕食を食べ、就寝時間の21時まで院内をうろうろ!
これが基本的な行動パターンです。
ほとんど院内うろうろですが、院内うろうろしてると、結構な確立でAYさんや、Aりんに会えるのです。
そして院内で会うとAYさんが優しい。
AYさから会うためには、ハイケアユニットに行かないといけないのですが、基本的にはイケアユニットは患者の親族以外立ち入り禁止なんですね。
そんなある日、朝から院内をうろうろしてると、AYさんに出い、
テンション上がっていると、
毎日毎日うろうろして、、どうせ暇なんだかろうから、ハイケアユニットに遊びに来ていいよ、私昼までなら居るからって言ってくれたり。
あと、私がAYさんを好きなのは基本的に看護師さん達はみんな知ってるので、院内をうろうろしてたら、AYさんに会いに行こう!!ってハイケアユニットまで連れていってくれるんです。嬉しい。
なぜかわからないけど、院内をうろうろしてるときにAYさんにらあうとAYさんが優しい。それが嬉しくて無駄にウロウロしてしまうんですよね。
そしてずっとうろうろうろしてると主治医にも良くあって、ある日主治医が、元気そうだから11月9日に退院してよし!と。
退院といっても天草の病院に転院ってことなんですけどね。
そして、退院の日が迫って来た111月7日。
いつもの様に院内をうろうろしてるとAYさんに遭遇。
のんちゃんこんな所にいたんだ、探したよーと言われる。
話をきくと、
Aりんから私が9日で退院するので、会いに行ってあげてといわれたようで。
あっかりーん!!さすが天使!マイエンジェル!!
実はAYさんとAりんはプライベートでも仲が良く、AYさんが作り過ぎた豚汁をAりんに差し入れたりする仲のよさ。
そして私はそれをAりんから、私AYさんの豚汁食べたんだよ。いいでしょー!と自慢された。
でも、好きな2人が仲良しって話を聞けて、私もなんだか幸せ!
済生会退院するのもあと少し、もっと院内をうろうろして、AYさんならたくさん会わないと!とこころに決めた私でした。
済生会退院!【闘病記その20】
callこんにちわ。このかです。
今回も前回の続き、闘病記21です。
です。
2019年の6月にもやもや病から脳梗塞になり、頭蓋骨を外して、3か月半リハビリを行い、頭蓋骨を戻したのが11月1日。
そして術後の経過も良く、9日には、済生会を退院し、地元でもある天草の慈恵病院に転院が決まりました。
退院の時間は10時30分!
済生会で頭蓋骨を外し、桜十字に転院する時は、また、骨を入れに済生会に戻ってこれる、AYさんにまた会えるというのが有りましたが、今回は退院したら天草の病院なので、もうAYには会えない、絶望。
せっかく最近では院内をうろうろしてたらAYさんに会う事も増えていたのに!
どんなにいやだと思っても時間は過ぎるもので、ついにきた退院の日。
退院がきまって退院までの間
ずっと考えていたのは、AYさん 御見送りしてくれるかな?です。
実は7月に桜十字に転院するために退院した時は、恋仇でもある、N先生に、このかさんが、今日退院するから会いに行ってあげてと言われたけど仕事が忙しくて行けなかったんだよねって事をすこし前に聞かされていました。
N先生やっぱり優しい!AYさんが、好きになるのも仕方ない!
そそんなやりとりがあったので、今回はAYさん来てくれるかなと、期待して、前夜はなかなか、寝付けずでした。
でも、眠剤を飲んでいたので、いつの間にか寝てしまったようで、朝、物音がして眼を開けると、なんとそこにいたのはAYさん!
正直、私もしかしたら死んでしまったのかと思った。
私が目を覚ますと、
今日は仕事で退院の時間は御見送り出来ないから、いま挨拶にたと。
なんと出勤前にわざわざ病室まで挨拶にきてくれました!
AYさんがデレた!!!
そして、天草に行っても身体には気を付けないといけないよ?と言われた、優しい、どうしたAYさん。
でも、最後にちゃんとお話しが出来てよかった。
ただ、最後に、天草にいったらわたしの話は絶対しないでよ!と釘をさされました。
実は桜十字で、AYさんが好きだ、と言いまくったせいで、桜十字でAYさんを知らない人は居ないくらい有名になったんですが、
ちゃうど、わたしが、再生会で骨を戻す少し前から桜十字から、リハビリの男の子が済生会に短期実習にきており、その子かが済生会に来るなりAYって誰ですか?って聞いて回ったみたいで、済生会に帰ってきた時に私を桜十字で有名人にするのやめて!
営業妨害だ!!ってAYさんに怒られてたんですね、
だから、天草行っても、私の名前は出すなよって事だったんだとおもいます。
とりあえずAYさんにAりんにもよろしく伝えて下さいとお願いし、AYささんとのお別れ会は終了!AYさん腹仕事前にわざわざ、顔を出してくれて私はの挨拶が済むと颯爽と仕事にもどって行きました。
でも、桜十字病院を退院する時は、WKさんは、おやすみの日にわざわさお見送りに着てくれるし、AYさんん出金前ににわざわざ部屋まで会いに来てくれるし、本当にわたしは、病気にはなってしまいましたが、人との出逢いには恵まれていると実感しました。
恵まれてるいるといえば、この退院の日に私の友人もわざわざお見送りにきてくれたのです。
そのことの出会いは、mixiのコミニュティのオフ会だったのですが、初めてあって、わたしが一方的に気に入って、好きだ、すきだ、かわいい、かわいい言い続けて、きっとうざかっただろうに、いやなかおもぜず、仲良くしてくれた良い子。名前はもこちゃんっていいます。ネットで出会ったので本名ではなく、ハンドルネームですが。
ちなみに同級生で、もやもや病の先輩でもあります。
私も、病気になって倒れたときに、母親にまず、連絡して欲しいと頼んだのがもこちゃん。
そして、このような病気になると、普通は離れて行く友達が多い中、もこちゃんは、離れて行くことも無く、私が済生会に居る時も、桜十字に、いる時も週に一回、自分の大切な休みを使ってお見舞いに通ってくれました!
ほんとうにいい子。
入院中は辛いこともいろいろありましたが、もこちゃんが、会いにきてくれたお陰で心折れずにやってこれました。
本当に感謝してもしきれないほどです。すき!
そして、なんと、天草の病院に転院した後も、片道2時間以上かけて、病院を退院するまでのあいだに、何度も会いにきてくれました
そして、退院して家に帰った今でも時々家まで顔を見に来てくれます。天使だ!!!
どうやったらこんなに良い子が育つのでしょうか?もこちゃんのお父さんとお母さんにも感謝です。
私はお二人の娘さんに救われています!
もこちゃんを、産んでくれてありがとう!
こんなに心のキレイな子に育ててくれてありがとうございます!
素晴らしい娘さんです!ありがとうございます!!!!!
そして、私は大好きな友人に見送られ、済生会病院を退院しました!